食の陣情報誌「街んなかご案内帖」に掲載された、
後半です!
<高塚>
とても勉強になっています。
私も高校時代までは新潟に居たくないという口で、新潟を脱出するにはどうしたらいいかと。うちの父は、今、石附さんがおっしゃったように加茂農林に行って、母は加茂農林で、そこで結婚してという。父の時代とかは、百姓の長男が学校なんか行かなくていいと、加茂農林の後の大学とかも行かなくていいと言われて行かせて貰えなかったと云う時代だったらしいです。私は県外に行きたいのだけれども、行くのだったら新潟大学農学部に行って家を継げと言われていたのですけれども、それがいやで、東京農業大学に、一つしか受けないと。ここだけ、落ちたら就農するくらいの背水の陣でやって、なんとか受かりました。そうしたら4年間なんてあっという間なのです。すぐ帰ってこいという話に、行かせてやったのだから帰ってこいと言われたのですけれども、まだまだ帰りたくなくて、じゃあここだけ受けて落ちたら就農すると言って就職したのがJAの全共連という、皆さんも多分入っていらっしゃる方がおられると思うのですけれども、JA共済の東京本部に就職して、6年間は自動車共済といって自動車の事故処理、日本全国で裁判になっているような案件を処理するようなものをずっとやっていました。
そのころは電話と約款と六法みたいな感じの仕事だったのですけれども、職業病でとても精神ストレスを受ける職場だったのです。暴力団の事務所に監禁されたこともありますし、特別な地域の方々は新潟にはあまりいらっしゃらないと思いますが、そういう方と話をして、1時間帰ってこなかったら警察に通報してくれと伝言して行ったとか、そういう貴重な経験もさせて貰いましたが、とても心が病んで、何事も感じなくなっている。あるとき、交通事故を目撃したときに、お金の感情しか湧かなかったのですが、あの位の身成の人だったら、多分、自賠の範囲内でいけるなとか、そう言うとても病んでいる自分を感じて、このままじゃいけないなと感じました。あとはうちの実家が農家だったので、何れは親を介護する時代が来るなという事を想定して、それを東京に居てお金で支えるのか、それとも側に戻るのか、多分、今選択しないとだめだなと20代の終わり頃に考えて、妻に、どうしようかと新潟に帰って農家になろうと思うのだけれどもという相談をして、反対されたら、多分、帰ってこなかったと思うのですが、良いんじゃないの、面白そうじゃないと言われて、あ、そうなんだと、少し背中を押されて帰ってきたという事です。
妻も神奈川ユーコープという生協に勤めていて、向こうの親にはもの凄く反対されました。何をそんな安定した職を捨ててと。東京の妻の実家のお母さんとかは、本当に山奥で、いまだに外に出るときは蓑を被って出るみたいなのが新潟の農家だと思っていて。新潟って天気予報で見ると雪だるまが横に流れていたりするではないですか、吹雪。でも新潟市はそうでもない。こんなですよね。そういうのでいつも毎回電話が来るのです。雪大丈夫。いや、降っていません。そんな事で凄い反対されたのです。
そういう事もあったので、そんな娘さんを東京から連れてきた経緯もあるので、農家になって、どういう豊かさをみんなで共有出来るかという事をすごく家族で話し合うようになりました。多分、それは東京に居た頃より所得が上がることではないよね、ということからスタートして、今ではどんなことをやっているかというと、いろいろやっているので長くなるのですが、少しだけ話すと、今、「Akiha森のようちえん」という幼稚園が秋葉区にあるのですけれども、その起ち上げのメンバーで、今、役員をやっていますが、子育て環境としては東京よりも新潟のほうが絶対に良いと思っていて、その中でも幼児期は自然の中で遊ぶだけでいいのではないかと思っています。それを見守るような環境を作りたいと思って、今、NPO法人をやっています。
もう一つ、別のNPOで「にいがた農園隊」というのをやっているのですけれども、そこでは何をやっているかというと、保育園と幼稚園の園児に園庭で、土も生きているし作物も生きているし、みんなも生きているんだよと。それがぐるぐる回って命がつながっているんだよという体験を、新潟市の事業で、菌ちゃん元気野菜づくりという、皆さんは釈迦に説法ですけれども、土にご家庭で不要になった野菜くずを戻して土ごと発酵させて、発酵が落ち着いたところに野菜を植えてそれを育てて食べるというプログラムをやっています。今、食育とかという話を一番届けたい世代に届けられないというのが問題で、食育の話題のイベントをやると、大体中高年の方が来るのです。そういうのを何とかしたいということで、今、「菌ちゃん元気野菜づくり」をやっています。
あとは、地元の異業種の人といろいろ連携して、子育て世代に何か響くような、少しおしゃれなしつらえで何かいろいろなイベントを仕掛けて、そこで価値観を提供しているという活動をさせていただいています。その一環で、農業自体は、これは個人的な考えなのですけれども、いっぱい売ろうと思うと、どうしても大きな小売店と付き合わないと捌けなくなってくるではないですか。そうすると、結局、価格決定権は最終的には自分に無くなることが多くなっていて、しかし捌く為には仕方がないという事になると結局、こちら側に残っているお金は少なくなってくると思っています。何をするのかというと、なるべく自分の近所の処で買って貰って、けどパッケージとかいろいろ苦心するじゃないですか。それも大事なのですが、むしろそのまま鍋を持って買いに来るくらいの人が沢山居る方が農家としてはとても安定すると思っています。先程もありましたけれども、体験を共有するような時間をお客様と持ったりして、例えば柿だったら、その物を売るのではなくて、そこで一緒に過ごす時間を買ってもらうというプログラムを作りたいと思っていて今、既に実行されている方も沢山いらっしゃるのですけれども、そういうやり方を誰でも出来る様な、こんなパッケージでやるととても良いですよと言う事を発信できるやり方はないものかなと。それで現在は新潟市の食育・花育センターと一緒に取組んでいるところですけれども、そうは言っても至らないところばかりです。今日はいろいろな話をお聞き出来たので、また私の経営にも活かしていきたいと思います。
先程も話が出ましたけども、うちの周りも離農している人ばかりなのです。田んぼが荒れて地域の農地をだれが維持するのだという事がとても話題になっています。ではお前がやればと言う感じなのです。多分、皆さんもそうですよね。おまえがやれという感じなのですが、しかし計算すると儲からないですよね。これ以上増えれば増える程段々利益率が下がっていって、こんなものやる意味がないのではないかと。でも、地域の農地を荒らしていいのかというジレンマがあって、その答えの出ない事が、今の私の中での一番の問題です。
<樋口>
今、高塚さんの話にあったように、社会というのは言った本人がやらなければならない宿命にあるというのは大体の共通の様です。
当初、新潟市より食の陣の構想の依頼を受けた際も、企画を立ち上げた責任が在りましたから年間の大半の日々をその設立に向けた活動に専念しましたから会社の売り上げは半減しました。これが、今、高塚さんの実態と一緒なのです。
次に佐藤さんお願いします。
<佐藤>
私も本当に若い頃は農業が大嫌いだったのです。それで、都会の方に出て帰ってきたのですけれども、その祭に泣き泣き、ホームの陰で泣いていた女の子が五、六人を見て百姓を始めようと思いました。
少し経歴ということでお話しさせていただきます。これだけ農業が大嫌いだったのは、私の場合は親父が出稼ぎ労働者で、私も当然、農業をやる気は一切無かったので都会の方に出たのですけれども、親父が帰って来ないから私が呼ばれて農業をやることになったのです。その時のたった一つの経緯は、請負業なのです。27歳のときに請負業を初めて、それが1か月100万位のお金を手にしたものですから。月給が3万5,000円位でした。それから農業も悪くないなと。それで少し色々な所を方々歩き回りました。とにかくサラリーマン並以上の給料が自分の手元に残れば農業も良いのではないかという考え方になってきまして、超拡大路線を、元亘新潟県知事の米100万トン達成運動の時なのですが、それを目標にして田んぼを借りたり開発したりしていたら、40歳前後で1億円ちょっとの借金をしていました。農業委員会でも農協でも、お金はいくらでも貸すと。あの頃は田んぼを担保に入れればほとんど借りることができました。あの頃、280万円の田んぼを7町歩借りました。それでにっちもさっちも行かなくて、買った田んぼを手放して、女房も逃げていく寸前までなりました。親父は自分の生活だけで自分の給料を使い果たしておりましたので、親父の実印を全部私一人で判子を押して歩いて金を借りて、5,000万円まで貸さないのをまた特認で3,000万円貸してくれと。全部鉛筆舐めながらだったのです。そんな地獄みたいなところを見てきたので、息子とか家族にそういうことを一切話をしないで、女房と二人で。息子はそんな事とは全然知らないと思います。
そんな事もあって、要するに丼ぶり勘定で物事を進めていたものですから、これでは農業と家庭を棒にしなければならないという事で、やはりこれは法人化して事務所を建てて、家から離れたところに土地を買って、それだって一千何百万円の借金をして、相続していない田んぼを買ったものですから、逆に相続移転する前に何千万払って借金払って、実際、その人が終わってから、当然、その人の口座に入金させなければならない、農業委員会に通すから、やる訳ですから。そうしたらそのまま前にあった前金と、あとでここを通して入ったお金をそのまま持ち逃げされまして、そんな事もあったりして、本当に大変な苦難の時代だったです。はっきり謄本を取ってからやれば良かったのですけれども、お金が大至急いるという事なので、今4反歩在る所に事務所を建ててハウスを建てて。しかし、それも授業料みたいな感じで。ある程度返して貰いましたけれども、全額は当然返して貰えません。自己破産で、その人はもう亡くなりましたが、逆に私はその人に感謝しています。あのときに1億円を儲けさせてもらって、現在も1億円近い売り上げを出している訳ですから。そういう人に感謝しています。
ただ、地獄を見てきた為に、私はおおばらなところがありまして、経営に関しては息子のほうが私より上です。良いのか悪いのか判らないけれども、おおばらなところで私は伸びてきたと思います。今、そういった事を見て息子がある程度やってきているので、経営に関しては私よりもがめついです。その位やらなければだめなのかなと思うのですが、反面私が心配しているのは、あまりその事で人が離れていくようではだめだよということを口を酸っぱくして言っています。ある程度のところは人間関係が、お客様がお金を払ってくれるのだから、そういう事も考えてコミュニケーションして、信頼関係を築いていく為にはあまりがめつくしてはだめだよということは口酸っぱく言っています。私がその様な経歴を持っているので、少し修羅場も見なくてはと、私の時代に子供に破けたパンツを穿かせて学校に行かせたら、パンツを取り替えてくれみたいな感じで言われたこともあります。そんなことを笑い話でよく話しています。
米行政に関して言えばそれこそ本当に国の政策に関して、少し矛盾しているなというところがあるのです。今、本当に市場が求めているのは業務用米なのか?この前、皆さんも新聞報道で分かる通り、新潟県米は高いから常食用に向かない、安い米を作って、例えば、新潟次郎とかあきだわらとか、決して美味しくないのです。二、三万円相当のものが逆にそれが業務用米として新潟の名前で出してくれと言われると、新潟の米の評価を下げてしまうのです。その新聞を見て、確かに業務用として安い米が求められているという話。今の食生活を見ると、今までは80パーセントが家庭食だったのです。ところが、今はどんどん業務用が、外食産業が増えて、コンビニエンスストアなんかもそうなのだけれども、本当に外食する人が多いのです。この生活環境が変わらない限り、このまま進んでいくと思うのですけれども、ただ、そこで政府、国までが外食向けの米を作ってくださいという言い方。それは調理方法で、ピラフみたいなものだったら良いけれども、それをどんどん消費者に食わせていけば尚更米離れが進むという事を感じていないのかなという気がします。確かに、これからTPPが締結されると海外からどんどん安い米がという時代が来ているけれども、かなり安い値段で入ってくる訳です。そこで外米と変わらない米を作りなさいと。時代の流れはそういう波に乗っていますから、そこで生きていかなければならない。そこに矛盾点が有ります。
私も実際、来年、その業務用米を作るのです。主食用の米を1万2,000円で契約しています。越いぶきであれば、例えば、直接交渉、1万3,000円から4,000円くらいで売れるのです。ただ、これまでの流通を通すと1万2,000円とか1万1,000円とかになるけれども。そんな米をどんどん、業務用米を増やしていって自分の首を絞めるような事。こんな安い米は作れないのではないですかと言われた時に、ではコシヒカリはいいから業務用だけ作って売ってくださいと言われたら、本当に私たちの生活は成り立って生きません。私の場合は、たまたま米の依存度が下がってきたので、そういうのも在りかなと思って、流通に出すよりも業務用米を作っても1万1,000円から2,000円くらいで売れるのであれば業務用米でも、流通に出すより良いかなという事で、高い米とセットで販売しています。販売価格としては今、1万8,000円くらいで売っているのです、税込みだと。1万6,500円の税込みだから1万8,000円近くになるのだけれども。それを買う代わりに業務用を作ってくれと言う事で、今年から作り始めます。それがどうも、少し腑に落ちない。新潟県の米なのに餌米みたいなものを人間に食べさせるのかなと、ただ新潟県の名前がほしいだけに。1万円前後の米というのは南のほうに行けば幾らでもある訳ですが、ただ、新潟県を謳いたいが為に業務用を作るという事なのです。関東の方のコシヒカリは1万円前後で売っていますから、米屋がそれを仕入れて業務用に廻せばいいのに、どうしてもそれより美味しくない新潟次郎とか。あんなもの食べられませんよ。それを欲しいと言うのだから。という事が今、少しづつ感じ始めているところです。
米作機構辺りがそういうことに取組み始めたときに、例えば、越いぶきクラスだったら未だいいけれども、どんどん値段が下落していって成り立たなくなった場合、農家は潰れていきますよね。では外米を入れましょう、輸入米を入れましょうという話になったら、輸入米に対抗するような米を日本で作りなさいという事に成れば、農村農業、儲かっていると思いますか。農村農業に就いている農家でしょう。かなり口説いている訳だから。もうやりたくないという話も聞こえてきますので。上からの施策をやったところで、ちょっとまだ私はこれからどうすれば良いのか解りませんが、今は昔と違ってけっこう集落単位でまとまってきているのです。集落営農みたいなものがまとまって、今私達が四十何町歩作っておりますが、これまでなかなかよその地域に入りこんでいけないもどかしさがありました。
胎内市は米と園芸がけっこう盛んなところなのですけれども、まだ農家人口のほうが多い。だから小作料もあまり下がらない中で、逆に作る人が犠牲になって居る様なところもあると思いますが、これからはまだまだ攻めの農業という事で、基盤整備も1町区画とか、1町何反、少なくとも3反、4反区画は既に終わっています。平成8年から、30年辺りで全部終わるので、けっこう農業をやる人が多いと予想されますけど、共倒れにならなければ良いがなと思いながら作っています。新潟県というのはやはり「コシヒカリ」で成り立って、「コシヒカリ」が若干下がってもいいけれども、コシヒカリを業務用米に使って貰える様な方法を考えていかないと。原価なんて安いです。私たちが営業かけるときに、とんかつ屋さんに行くと、お昼の食事が例えば30人、40人来るでしょう。二人多く来ればコシヒカリが使えるよといって営業して歩いているのです。ただ、米を変えることによって、新潟県のコシヒカリを使っていますという、米の原価からいうと、二人か3人のお客さんが1日に多く来店してもらえればペイできますと。4人目からは儲けなのですと。カツはおいしいけれどもご飯がおいしくなければ、やはりお客さんは来ない。あそこのご飯は新潟産のコシヒカリ使っている、胎内市のそういう名前を出すだけで、お客様は食べれば分かります。たまたま新潟で、大型店に行ったときに近くにあったので寿司を食べたら、ネタはいいのですが、シャリが何ともマッチしてない、これはもう二度と行くかと思ったのですが、そういう感覚で、とんかつ屋に営業をかけていくと、やはりご飯というのは日本国民そのものと思いますので、白い飯はやっぱり新潟県で、業務用米でも豚の餌になるような餌米を使わないで貰いたいと私はこれからそういう風に言っていくつもりです。やはり新潟のプライド。流れは変わらないですよ、米離れが進んでいる。そこに拍車をかけるようなことを自らやっては。新潟県には米に100パーセント依存している人もいるわけだから、米だけで家族で30町歩くらい作っている人もいるけれども、なかなか厳しいと思います。そんなものが出てきたら我々はできませんから。業務用米から始まってどんどん崩れていくのかなと思いながら、今、やっています。
座談会 第一部はここまでとなります。
第二部についてはまた今度お届けしますのでお見逃しなく!