にいがた食の陣

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特集
2017年06月16日
「米王国=米文化=米の陣」座談会 第二部(後編)

「米王国=米文化=米の陣」座談会 第二部(後編)

前編はこちら

 

続いて第二部後半です!今回の座談会はこれで全文となります。

 

 

新潟の米作りに未来はあるのか?

25周年を迎えたにいがた食の陣が、今後の大きなテーマとして掲げたのが、新潟農業の象徴と言える米作りだ。
人口減少や主食としての米離れが進む現代において、米作りの最前線にいる生産者たちは何を考え、どんな思いを持つのか? 県内各地でそれぞれ独自のスタイルで米作りに励む7名に、今の思いを聞いた。

〜第二部 後編〜

 

<熊倉>

 この食の陣のどこをどうやって米をPRしてやっていくのかなというのが、少し見えないと思います。ただ新之助を作ったから、ではそれをPRして新潟県のブランド米で売り出していこうという、遅れているからそれを売り出していこうという企画かもしれないけれども、今言われたように、新之助で別に特化しなくても良かったのではないかと。ただ、新潟県は米どころで美味い米が沢山獲れると。しかし、この先、高齢者がどんどん辞めていって、耕作放棄地が増えてくる。平場の方はまだとしても、私達の住む山手は誰も作り手が居なくなってしまった。その米をどうやって生産性を上げていって農地を守って米を作っていくかと言ったら、自給でそれが消費できれば非常にいいことであって、よその産地も北海道なり九州なり沖縄なり、他県はどうか?ここで作ったものは県でみんな認めてやりましょうと。これをやったらそれがきちんと生きていけるような農業を作りましょうというのを特化して、よその県は一生懸命やっているのではないでしょうか。ただ、新潟県を見ますと、目先のことだけを変えてそれを売り出そうという感じを受けてならないのです。それだったら、ここの地域、西蒲区とか平場のほうの米はきちんと作るような形を取りましょうと。それをみんな新潟県で全部消費しましょうと。それは企業から県民からみんなで協力し合って、新潟県一体で農業を守りましょうという形ができていけば、新潟県の農家は生きていけます。山手の方とかは野菜を作りしましょうなどと高冷地で温度差があって良い野菜が出来るよと。それだったらそこを新潟県の特区で、国ではなくて。その地域で適地適正の野菜を作って、それを新潟県で産地地消するようにして。よその県からも来てもらえる様に新潟県はこんなに美味しいものを作っているのかと。

 

 里山十帖で、何故あんなところに東京の人がどんどん来て、1泊2万から3万円、10年先も埋まっている。そこでメインディッシュは何だと思ったら菜っ葉がメインディッシュです?本来、肉が出てくるとおもいきや肉は出てこない、おにぎり1個出てきてそれで終わりだというのです。それが2~、3万円する訳です。それでも東京とかそういう人達がそこに来るというのが、やはり宣伝とか内容にこだわってやっているから来るのであって、ただ目先のことだけを考えてやっているのだったらそれで終わってしまうと思うのです。

 

 食の陣をどうやってこれからもっと広めて、新潟県をPRするのであればそれをどうやっていこうかという本質のところを考えていかないと、食の陣も、私も出店した事が有りますけれども、このままだったらうちらの方の農家とかそういうところは別にいいなと。そういう有名であるとか資本力のあるところは生き延びて、それはいいかもしれないけれども、農家が食の陣でこういうものが出来てこういうものが美味しいのですというものをPRするための食の陣だと私は思ったのです。しかし、それが変わってきたなという事で、私はもう出なくて良いですよという事で出なくなった経緯が有ります。

 

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※第25回当日座(2017)新之助振る舞いの様子

 

<樋口>

 

 1回出店していただけたのですよね。

<熊倉>

 そうなのです。しかし、それを国・県の支援でどうやるか。食の陣でどうやるかです。

 ということで、止めどのない話をしましたが。

<樋口>

 昨年は新之助を作られたのですよね。

<熊倉>

 いや、作っていないです。食べました。

<樋口>

 新之助の開発に当たって何かありましたか?

<熊倉>

 ああ、新之助の原種の種、選ぶ前の種。

 石垣に行って稲刈りをしてきました。農業委員会で、新潟県の長岡の試験場の人が石垣に行って、種を作っているからそれを見に行こうという事で、行く前から稲刈りをしてほしいと。7種類の稲を二人で田んぼの中で泥だらけになりながら稲を刈って、この中から新潟県の稲ができます、新しい米ができますというので、稲刈りをやってきました。私達が聞いたのが、みんなヒカリが中心で、刈り遅れだの日照不足、天気の変動で美味い米が出来なくなってから、その代わりに美味いものを作りたいのだと。それで、暑い時期に植えるのではなくて遅くなってから稲刈りをすると取れるという米を作ったのだなと思ったのです。出来てみたら、あんなに遅い品種を作って肥やしをどんどん使って粒を大きくして、あんなの酒米の五百万石食っても同じ米だろうと。ヒカリに代わるものを作るというので、私達は一生懸命石垣に行って稲刈りをしてきたのです。それがこれというのはやはりがっかりしました。わざわざ石垣まで行って稲刈りしたのかと、今、笑い話になっていますけれども。

<能登>

 石垣に行ったのはいつごろなのですか。

<熊倉>

 6年前です。

<能登>

 ありがとうございました。では、高塚さん。

 

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※新之助刈取りの様子

 

<高塚>

 新之助の話からして、今年も2町歩以上新之助を作るので、相当多いほうだとは思うのです。新之助をなぜ作るかというのは、我が生産組織はまさにコシヒカリの刈り取り受託ばかりなのです。しかし、早刈りはしてほしくない。誰でもそうですよね!早く刈ってほしくないし、適期に刈ってほしいのですが、適期に刈ってほしい面積が40町歩くらいありまして、そうすると、1日何町歩刈れば刈れるのだという話になるのです。現状、1日最高で7町歩くらいは組織で刈るのです。それでも後半、やはり刈り遅れてきます。それで耕作面積も増えてきます。そんな中、早生に移行するにも刈り取り受託の方はやはり1円でも高く売れるお米を作りたい訳で、結局はコシヒカリなのです。その中で、今、やっているのは、前半の早生で酒米を作っていて、後半に新之助を入れて作業を均すという事をやっているのです。

 多分、みなさんと前提が違う話なのですけれども、私は父がJAの常勤役員をやっていて、もう亡くなっているのですけれども、JAと共に歩んできた組織で、今のJAの育苗センターも運営していて、年間1万5,000枚くらいの苗を育苗して販売しているのです。そういう事もあって、父の時は農協とべったりな感じの経営でありましたが、私に代替わりしたので急に離れることも今のところなくて、どちらかというと、もし何かあっても対処出来る様に、今、着々と準備も怠りなくやっているという感じです。

 

 今日は米の話なので、新之助を少し忘れると、世の中の流れは、多分、石附さんがおっしゃるとおりで、私もそういう事は知らない人の方が多いと思うのです。特に米農家ではなく一般消費者の方はどのくらい知っているのでしょうか?今、遺伝子組み換えが日本に入っているとか、先程の米の話とかアルコールの話もそうで、誰も輸入食品材料を食べていないと思っていると思いますが、実はもうみんなが食べているという現実を知らない。しかし、それは大手の会社やメーカーがもの凄いキャッチコピーを作って、それに踊らされてる訳ではないですか、いいな~いいもの食べているな~と私達、と思ってしまうところがあって、しかし、それに公然と反旗を翻しても、ただ少し反骨精神のある嫌なやつになってしまうではないですか。しかし、何というか、世の中の太い流れは、今、どんどん太くなっていると思っていて、昔よりもどんどん主流派が大きくなっているような気がします。しかし、その主流派の流れが大きくなればなるほど端っこに出来る澱みやニッチみたいなものも大きくなると思っているので、どちらを取るかという感じではないかと思っています。本当に効率化して主流派でど~んと行くのであれば、本当に効率化しなければいけないですし、ニッチを取るのであれば、非効率なところが好くないですかねと言う見せ方も一つあると思います。私達みたいな非効率的な農業界が世の中の多様性、食文化を支えているのです、みたいな打ち出し方も一つあると思います。

 

 今、米の非主食化は止まらないと思っています。あそこにあるデパートの地下1階に行って、米売り場を見ると、米が売っているスペースはこの位しかないです。しかし、パンがどのくらいのスペースかと言えば、その場でパンを調理して、焼いて販売しているコーナーがとても広い訳ではないですか。米なんか全然そこで精米さえしてません。そのままポンと置いてあるだけなので。現実、そうなっているので、それを止めようと思うのは無理なのです。海外に行くと、石附さんなどはずっと海外に行かれているからあれですけれども、そもそも家のキッチンなんか使わないという国もたくさんあると思いますが、北米等は結構そうで、殆ど外食なのです。今後、日本もそうなり兼ねないと思うのです。それにどう対応するかと言うと、そうは言ってもそうではないよねというニッチも必ずアンチテーゼとして出てくるので、どの辺をお客さんとしてとらえて共感を作っていけるかというのがこれからの課題かなと私は考えています。そういう意味では、マーケットインという言葉はいろいろな農家で言われるのですけれども、どちらかというとマーケットを自分でクリエイトするというか、作っていくことがとても重要な事だと感じています。

 

 そういう課題は農家だけではなくて、ほかの異業種でも全部そうなのです。抱えている課題は全部どの業種でも同じで、異業種交流というと使い古された感じですけれども、しかし、そうなのです。より地域内でどう連携するかということを思っていて、お客さんを支援することもいいし、知識とか足りないところをお互いに出し合って何か商品を作るとか。米でいうと、例えば、私が地元の村祐酒造の酒米を作ってお酒を出すという動きとかもそうですし、ドレッシングなどを作るのは醤油屋さんに作ってもらうというのもあると思うのです。あとは、月に1回勉強会をやっていて、異業種の、住宅メーカーというか工務店ではこんな取組みをやっているのですというのがとても勉強になったり、それは農業でも同じ事だなと思うのもあったりします。そういう事をどんどん積み重ねていけば、ニッチのほうでも生きていけるかなと思っています。海外の大農場とかの経営者を見ていると、ニッチに生きる方が農家は楽しいのではないかと思っている口なので、そちらのほうを追求しています。

 

酒米リゾット

※食の陣25周年記念 酒米「五百万石リゾット」(写真は万代シルバーホテル提供の2品)

 

 先ほどの酒の連携もそうですし、妻はガス会社と、ガスって良いよね!と言う様な、連携で料理教室をやっていて、ガス会社もIHの流れが驚異な訳ですからオール電化とか、料理にはガスって良いですよ!という事を、お互いに料理教室を通じての商品連携とか。後は先程の味噌業界とかもそうで、表に出ない情報等の知識はなかなか伝える場がないではないですか。商品に日本の味噌の95パーセントは輸入で、そのうちの60パーセントがアメリカで、アメリカの95パーセントが遺伝子組み換えですという事を全部書いたら、ただうっとうしいだけの商品になってしまうので。そういうものは何所かで伝えたいのですけれども、伝えるのだったら、例えば、同じ伝えるにしても味噌を一緒に大豆から作りませんかという体験教室などで、そういうところでやんわりと伝えられるのではないですか。大手はそういう事をやりませんよね!自分のところの利益に反するから。自己否定することになってしまうので、あたかもお袋の味とか田舎の味とか言って、全然田舎でなんか原料作っていないのです。船とかに載せて海外から運んでいるのに、ああいう表示を見るとすごい憤りを感じるのは私も同じです。しかし、怒っても何もならないので、そういう事は国の政策とか政治とかの問題なので、そこにも発言できるような事もやらなければならないかなと。方法論として例えば農業紙を活用するとか、そういう活動も必要だなと。誰かが声を出し続けるというのも必要だと思いますが、反面はお客さんと価値を共有して、こんなんなのですと。嘘を言ってはいけないですけれども、正しい事を、理解が広まれば、農産物が高くても、私たちの言いたいところも理解していただけるようになるかもしれません。すぐそこに農地があることに価値のある事にお金を払ってくれるようになるのではないかと思います。

 

 全然違うかもしれないですけれども、ロシアとかは、昔習ったのは、ソホーズとかコルホーズとかいって、週末にジャガイモとか野菜を畑に行って全員が作っていて、農家で穀物を作っているではないですか、政策的に、国が補助金を出して作っているので、日本もと言ったらおかしいですけれども、先程園芸という話が出たので、もう少し農に関わる人が増えるといいなと思います。ロシアが国営でやっている農園を農家が経営するみたいなイメージで。先程、5畝とかのところに10人の方がいらして、そこに畑を作りに来て、区画を中条農産に借りるのに3万円払って帰るみたいなイメージがとても良いのではないかと。そこの農家の指導をファンでやるという、農業に於けるカルチャースクール的な活動をやると、作物が育つのって意外と大変だな~というのが分かるのです。実際、私が今取り組んでいますが、お客様にうちの農産物が如何に良いかみたいな事を宣伝する場だけにならない様に、体験はもう少し、雨の日もあれば風の日もあって、丹精込めても台風一発で台無しになる事もあるというのを共有する、そういう事も分かってもらえるような場があったほうがいいのではないかと、最近、思います。どんなやり方があるか、今度、樋浦君に聞いてみようかなと思っています。

 

<樋口>

 家と身近な土地の既得権益が、今、連携していかないと中山間地は特に国土の保全からしても憂慮されなければならないと思いますし、第1種兼業農家から第2種兼業農家の時代も終わり、第3種兼業農家の継続も疑問視されるなかで平場の耕作放棄地も増える現状をどうするのか等の諸問題は拡大するばかりです。そうかと言ってこまねいている訳にはいきませんので、出来る事を今後異業種との連携も視野に入れていかないと、なかなかこれからの将来に向かって市民・県民の理解を得ると云うのは難しいだろうと思います。

 

 様々なご意見をいただきましたが、今後食の陣が出来る事、出来ない事は皆様とも共有していかなければならないと事でしょうから、出来ない事が有れば誰と組めばよいのか等も今後ご一緒にアイデアを出していければと考えます。

 現状を憂えるだけでなく、戻る事は無いと思いますから現状を良くよく認識した上での民間同志で何が可能かを掘り下げて行く事が出来ればと思いますので、今後も宜しくお願い致します。次回は田植えが終わりまして6月頃の会合となります。お疲れ様でした。

 

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濃密な米座談、如何でしたでしょうか。

第2回座談会は6月に行われました、その記録は後ほど。。。